水の匠
井沢      井沢 弥惣兵衛(いざわ やそべえ)
2013年の文化祭には、日頃の活動で修得したスキルを生かして
「郷土の偉人 井沢 弥惣兵衛の足跡」を写真とWEBで発表します。
                    (南野上公民館PCクラブ)

井沢 弥惣兵衛(いざわ やそべえ)は江戸時代の紀州・溝ノ口村(現在の海南市野上新) に生まれ育ち,亀池の築造や新川(亀の川)の改修を行いました。この功績が八代将軍、徳川吉宗に認められ、幕府の役人として、武蔵国の見沼干拓、見沼代用水開削、多摩川改修、下総国の手賀沼の新田開発、木曽三川の改修計画、鴻沼干拓といった今に残る大事業に尽力しました
 
井沢 弥惣兵衛の偉業

生誕地
「井沢弥惣兵衛の碑」は、生家の近くに建てられ、氏の偉業を今に伝えています。

生家跡
地元でもその存在をほとんど知らない、とても貴重な写真だと思います。
井沢 弥惣兵衛の生家は、野上新立石の妙見山の山麓にある4畝(400u)の水田となっている場所に在ります。俗に「古屋敷」と呼ばれています。

生誕の地と生家
井沢 弥惣兵衛 紀州・菩提寺
菩提寺
幼少期は野上八幡宮で学を修めました。長じてからは一の鳥居から拝殿までを一気に駆け上がる「馬の早がけ」で名を馳せました。
幼・青年期 
縁(ゆかり)の地
  貴志川の唐戸瀬(野上町下佐々)から水を引き、およそ2.7kmの延長改修事業を行いました。佐々の井用水の完成により、長い間水不足で苦しんだ海南市の中野上、北野上地域の水田は豊かな水で潤うこととなりました
 佐々の井用水  

亀の欠〜亀池まで、とても貴重な写真だと思います。
亀の欠取水口
ここから取り入れた水は、約4kmの「任せ溝」を通って亀池に注ぎます。
亀の欠け〜亀池まで

亀池の築造
1710年に起工して,農閑期の3か月余の工事で竣工しました。水源は,亀池の南方の山腹に降る雨水と,亀ノ川の上流辺から水路で集めて亀池へ注ぐ雨水です。亀池から流れる水を合わせて水量の増えた亀ノ川は,現在の海南市の阪井から旦来、多田、岡田と、和歌山市の仁井辺、小瀬田、薬勝寺、本渡,内原,紀三井寺,毛見の11か村の水田をうるおしました

亀池